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< 実感がありません、アドバイス下さい(20代) >
[1] 将来を悩む男(20代) 2006 4/23(日) 20:06:41
皆さんはじめまして。
先日SBMAと診断されました20代男性(独身)です。
症状は振戦程度(1年ほど前から)で運動もできますので、SBMAと言われても正直あまり実感がありません。
最近転職をし、これからというところで確定診断されて再度転職を考えることになりました。
少しうつ状態にもなり、今後の人生をどう生きていこうか悩んでおります。
現在の仕事は素晴しい仕事であると同時に激務でもあります。
どの位の歳月でどの程度の影響が出るのかわからない為、将来を選択できません。
今は医療の世界へ興味を持ち始めております。
このサイトを拝見し、主治医(某大学病院ですが)も変更しようか検討しています。
主治医からの情報は非常に少なく、診察も私がリードしている状況で・・・。
長くなりましたが、皆さんは確定診断後に(様々な病気の受容プロセスがあったかと思います)、どうやって将来の展望やプランを描きましたか?
病気を前提に?やりたい、なりたいことを前提に?既に結婚され、お子さんもいらっしゃる状態で診断された方が多く、私とは状況が異なるようですが・・・。
何でも構いません、諸先輩方々、アドバイスを下さい。
[2] 管理人 sbma@s3.dion.ne.jp 2006 4/23(日) 21:14:48
将来を悩む男さんへ
アドバイスになるか分かりませんが、ちょっとだけ。
私の場合は「筋力が落ちてきたなぁ」と自覚する10年以上前に振戦を自覚しています。
論文等の臨床像とも合致します。
つまり、将来を悩む男さんに筋力低下等の自覚症状が現れるのは、まだまだ先で、その頃には治療法が確立している可能性もあると思いますよ。
そうであれば、お考えになる時間も、たくさんあります。
もう一つ、主治医はご自分が信頼できる医師を選ぶことをお勧めします。
ただ信頼できるという事と、SBMAに詳しいという事は別です。
私の最初の主治医も、将来を悩む男さんと同じような状況でした。
今は、医師も病院も治療法も患者自身が納得して選択するべきだと思います。
[3] 将来を悩む男(20代) 2006 4/23(日) 21:38:48
管理人さまへ
早速のレスを頂き非常に感謝しております。
レスがあるというだけで救われる時もあるのですね。
>私の場合は「筋力が落ちてきたなぁ」と自覚する10年以上前に振戦を自覚しています。
論文等の臨床像とも合致します。
つまり、将来を悩む男さんに筋力低下等の自覚症状が現れるのは、まだまだ先で、その頃には治療法が確立している可能性もあると思いますよ。
なるほど。
早速名大にも行きましたが、恐くてあまりサイトなどを見ておらず、そのようなお話を頂けてなんだか少し安心です。
考える時間もなく、中々大変ですが、結局は考えねばならないのでまた、考えます!
有難うございました。
心より感謝しております。
[4] サボテン sabo@cpost.plala.or.jp 2006 4/24(月) 19:48:34
将来を悩む男さん:
私も、管理人さんと同感です。
個人差がありますので参考になるかどうかわかりませんが、私もSBMAを強く自覚するかなり前から色々な症状がありました。
40才で「もしかすると」と思い、検査入院の末、確定診断がなされたのですが、手指の振戦は20代の前半からありましたし、大学生の頃も「他人より体力ないかな?疲れやすいな?」と感じていた記憶もあります。
「運動不足か?」、「仕事疲れか?」などと、あらゆる症状がまったくSBMAに結びつかないうちに、(少なくとも日常生活では)さしたる支障は感じずに20年近く過ぎたわけです。
勝手な言い分かもしれませんが、ある意味、お若くして診断を受けられたことを前向きに捉えられてはいかがでしょうか。
治療法はいずれ確立されますでしょうし、考える、あるいは病気に慣れるという時間があるのですから。
主治医の件ですが、稀な病気ですから、よほどの専門家でない限り、さしたる情報は持っていないのではないかと思われます。
しかも、治療法は今のところ確立されていないのですから。
それでも、私の場合、家族とこのサイトに参加していらっしゃる方々以外でもっとも真摯にSBMAの話を聞いていただけるのが、(当たり前ですが)主治医です。
感謝しています。
[5] Xmas 2006 4/24(月) 21:29:29
今の医学の進歩なら20代の方が発症するころにはこの病気は確実に克服されていると思います。
40代で発症することを考えて生活設計をして、実際に後年、医学の進歩で病気が克服できていたら、その時、貴殿に色々な配当が来ると思います。
人間は、どのみち、みんな老化をします。
しかし、同世代の20代の若者は皆、健康と体力を過信して生活します。
老化した後でも働ける職業訓練を20代のうちに意識的にできるのはとても幸運なのではないでしょうか?私は、医学の専門家ではありませんので、想定されるリスクに関して、自分でできる、限られたことしかできません。
運が向いてくるまでジッと信じて待つことに徹しています。
風が吹かなければヨットは動きませんが、でも、風が吹くまでできる準備はする。
五木寛之氏の「他力」という本にそんなことが書いてありました。
私はsbmaですが、幸運にも、まだ自立歩行ができます。
だから、今は、歩けるときは極力歩くようにしています(階段は少しきつくなってきましたが)。
医者に歩行訓練がどこまで良いか聞いても明言しません。
どうも回答不能のようなので詳しく聞くのは辞めました。
このサイトで、疲れない位の運動が良いと出ており、その話が現在の私にとり一番の処方箋のようです。
私も、実際散歩などしてみて、1週間の調子が比較的良いので、疲れない程度に歩いています。
悔しいけど、今は信じて待つだけです。
でもきっと・・・
[6] Namadu 2006 4/25(火) 11:33:31
悩む男様
症状・進度具合に大変な違いのある疾病ですのでこれも他の方のご意見同様ご参考までに申し上げさせて頂きます。
わたくしの場合ですが20代で震顫の症状があったのは記憶しております。
それ以後階段や走ることに困難を覚え周囲との差を感じ始めたのは30代前半あるいは30になる少し前だったかと思います。
それから約30年近くなり今でこそ歩行20m前後となってしまいましたが知覚神経(五感)はおそらく健常者の方と変わらず健在だと思います。
現在のお仕事が激務と仰り将来の不安はいかばかりかと思いますが これもわたくしの場合ですが現場での仕事を断念せざるを得なくなったのは30から15年後のことで会社に打ち明けたのもその時でした。
会社の対応はごく普通であったと思いますが責任職は解かれ後方の支援職に配属となりました。
なにしろ会議の席に行くこと自体に難渋し他の迷惑となりそう
になったため初めて病状と身障認定3級の事実を
報告 3ヵ月後の転属でした。
私のように病気を隠して勤められるだけ勤めることが自分にとって
又会社に対してよいことなのかどうかわかりませんが あくまで私の場合での話しで会社には迷惑だったかもしれませんが一人での立ち上がりができなくなるまで職場を与えてくれた会社に感謝する今日この頃です。
現場の仕事に明け暮れしてまったくないがしろで垂れ流しだった脳に今遅まきながら栄養をと思っております。
[7] Thirdlife thirdlife21@yahoo.co.jp 2006 4/25(火) 16:41:24
将来を悩む男(20代)様
すでに管理人様をはじめ、多くの方からアドバイスがあるようですが、私もいくつか付け加えさせていただきたいと思います。
まずSBMAは進行の早さも症状の出方もかなり個人差が大きいように思います。
しかし40台以前に働けなくなるほど症状の進行が早いというのはあまり聞きませんから、50台くらいまではある程度仕事は出来ると考えていいと思います。
仕事が激務かどうかということと進行の速さは、私としてはあまり関係なかったように思います。
しかし症状の出方はかなり個人によって異なり、嚥下困難が強く出る場合や上肢の力が先に衰える場合、下肢の方が先に衰える場合、左右差のある場合とかなりさまざまで、あらかじめ予測することは困難なようです。
幸いSBMAはこうした神経筋疾患の中では、かなり機序が解明されているほうで少なくとも動物実験で有用性の証明されている薬もいくつか有り、治験も進行中です。
ですから貴方の症状が深刻になってくる頃までに有効な薬剤の開発が進んでいる可能性もありますが、こればかりは出来てみるまでは分かりません。
おなじポリグルタミン病であるハンチントン病や脊髄小脳変性症などではいまだに明らかに有効な治療薬はあまり無いように思われます。
SBMAでも治験が成功したとしても、単に進行を遅らせる効果しかないということもありえます。
ですからあまり楽観視するのも悲観視しすぎるのも必ずしも得策では無いのではないかと思います。
[8] Thirdlife thirdlife21@yahoo.co.jp 2006 4/25(火) 16:42:37
(つづき)
ですから、もし私が振り返って貴方の年頃に診断がついていたら何をするか考えると、出来るだけいろいろな状況に備えておくことです。
私だったらまず今は今の仕事に精を出すとして、10年20年後にはデスクワークや物を書くこと、経理税理などPCを使って出来ることにシフトすることも考え、資格や訓練を出来ればしておくでしょう。
建築士設計士などもCADがありますから良いかもしれません。
次に今後は福祉予算が確実に削られるでしょうから、自分で経済的に備えて何とか少しでも財産を蓄えてイザというときに備えておくことです。
年金などもあまり当てに出来なくなる可能性が高いですから。
また、ご自分の生き方についても良く考えておかれる必要があると思います。
まだご結婚前だとすれば、どうするのが良いか、病気を理解して結婚を承知してくれる方がいるかどうか。
子供はどうするか。
1人で生きるのは大変ですし、生きる意味も半減します。
出来ればよく理解してくれる協力者としての伴侶とともに歩む人生の方が好ましいと、私の年になると強く思います。
無論相手もあることですから、結論まで出しておくことは出来ないと思いますが、基本的にはどうしたいか考えておかれるのは、無駄ではないと思います。
もう分かっておられると思いますが、常に疾患の研究治療がどこまで進んでいるのか、情報収集は怠り無くされることが重要だと思います。
また当然ながら、管理人様もよく言っておられるように、何でも相談でき、きちんと説明してくれる貴方が心から信頼できる主治医を持つことは極めて大切です。
いずれにしても大切なことは、ボーイスカウトの標語ではありませんが「備えよ常に」であり、自分がその時その時出来ることをやり、将来に備えておくことだと思います。
若いからそのぶん大変なこともあると思いますが、逆に若いから出来ることもあるはずです。
お互いに悔いのない人生を送れるよう努力しましょう。
誰も欠けたところのない満月のような人生は無く、何か1つや2つ欠陥や悩みを抱えながら生きているのですから。
SBMAもそんな一つの欠けた部分に過ぎないのではないでしょうか。
[9] 咲希ママ 2006 4/26(水) 08:53:54
悩む男さんへ
私はthirdlife先生が書いておられる脊髄小脳変性症(SCD)患者です。
病気が違うので、参考にはならないかと思い、書き込むつもりはなかったのですが、
サボテンさまの、
> 勝手な言い分かもしれませんが、ある意味、お若くして診断を受けられたことを前向きに捉えられてはいかがでしょうか。
治療法はいずれ確立されますでしょうし、考える、あるいは病気に慣れるという時間があるのですから。
とのレスを読み、私が思っていることを書き込みたくなりました。
私は、10歳でSCDの診断を受け、
16歳で、この病気の全容を知りました。
当時は、ほとんど解明されてはいませんでしたし、思春期でもあったことから、衝撃だけが強く、絶望しきってしまいました。
・・・現在、37歳で、6歳の娘を子育て中の母子家庭で危なっかしくも楽しくやっています。
相変わらず、この病気には治療法はありませんし、進行する一方で状況は変わっていません。
でも、当時には、思い描くことも出来なかった恋愛、結婚、出産、子育て・・・おまけに離婚までしてしまいました(笑)
当時は、自分ほど不幸はなかったわけですが、
サボテンさまのおっしゃる通り、
10台にして、しっかりとおかれた人生に向き合うことが出来、受け入れ、
だからこそ、若さゆえの恥ずかしかったことや失敗はあっても、
後悔はありません。
とても、感謝なことだと思っています。
[10] 咲希ママ 2006 4/26(水) 08:59:47
訂正
16歳ではなく15歳でした・・・
中学3年。
眼振があるものでスミマセン(~_~;)
[11] Thirdlife thirdlife21@yahoo.co.jp 2006 4/26(水) 10:13:54
皆様
咲希ママさんは以前ご紹介したと思いますが、私のお知りあいで、今年小学校1年生のお嬢さんとの暮らしや闘病記を下記のBlogに書いておられます。
症状こそ違いますが、同じ難病をかかえるもの同士として得るものが大きいと思いますので、ぜひお読みになってみると良いとおもいます。
再度ご紹介させていただきます。
http://blog.livedoor.jp/a_sakimama/
[12] サボテン sabo@cpost.plala.or.jp 2006 4/26(水) 19:43:17
咲希ママ様:
私も確定診断を受けて2年半ほどが経ちますが、実際には、あまり将来のことなど突き詰めて考えていません。
将来を悩む男さんにはいい加減なことを言ってしまったかなぁと少し反省もしていましたが、ポジティブなレスをつけていただき救われました。
今後とも、病気こそ違え、情報や意見をシェアさせていただきたいものです。